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馬鹿は死ななきゃ治らない

この言葉、昭和12年頃にラジオから流れる演芸から流行った言葉だそうです。


そもそも、『馬鹿』とは、愚かな者であるという意味でしょうが、いつ頃から使われ始めたのでしょうか?


江戸時代という文献があります。江戸の町の庶民たちに、よく使われていた言葉だろうと想像することが出来ます。火事と喧嘩は江戸の華の言葉通り、ひしめき合う人々の数の多さと威勢のよさを表しているようですが、江戸っ子の気風と『馬鹿野郎!』という言葉は、よくマッチすると思われます。

同じく、江戸時代というと、庶民の娯楽であった落語という演芸を思い浮かべます。

この落語には、知識人であるご隠居さんや長屋の大家さんと、頭は足らないが、心優しく聞き手からすると応援したくなる性格の与太郎が、まさに主役級の存在です。


この二つの事柄から、『馬鹿』に関する言葉は娯楽である演芸が発祥の地であり、発信源であるように考えられます。


江戸時代の前は、いったい『馬鹿』という言葉は存在していたのでしょうか?


鎌倉時代と室町時代に挟まれた南北朝時代に、『馬鹿者(バカノモノ)』という言葉が存在し、しかしその意味は現在とは異なり、狼藉という無法な荒々しい振舞いをする乱暴者のことを表していたようです。

それでは今の『馬鹿』という愚かな事などを指す言葉は。


『おこ』や『うこ』という言葉が少なくても平安時代には存在し、人の笑いをさそう滑稽でばかばかしい様子を表していたようです。

そして、この言葉の発信源は、やはり演芸の基になった、寺社などで庶民に披露された猿楽のような中での言葉だったようです。


それが、演芸を離れ庶民生活の中でも、滑稽で少し間が抜けた行為に対して、『おこ』が後に『馬鹿』という言葉に変化したのでしょう。

そして、各地域により呼び方が変わり、『阿保』、『タワケ』、などが知られています。


いずれにしても、他人を強く罵倒する言葉ではなく、少し滑稽で笑いを誘う人の仕草や行動を愚かであると感じた時に多少の親しみを込めて発する言葉であるような気がします。


昭和28年(1953年)、衆議院予算委員会で時の首相が、質問に立った野党議員に対し『バカヤロー』とつぶやいた言葉がマイクを通して本人に聞こえてしまい、その結果衆議院を解散するという事態になったこともあります。

昭和の戦時中、旧日本軍が海外へ進出し、多くの兵士が『バカヤロウ』を連呼した結果、もっとも有名な日本語になったとの話もあります。

放送禁止用語ではないために、『馬鹿野郎』とテレビ番組の中で連呼する芸能人もいます。

『わたし馬鹿よね、お馬鹿さんよね。』 こんな歌の歌詞もありました。


そうです。『馬鹿は死ななきゃ治らない』は『馬鹿』という発言者が死ぬまで止まない、という捉え方も出来ます。


バカは『馬鹿』でも、親バカ、馬鹿の一つ覚え、バカ正直、バカにできない、バカを見る、火事場のバカチカラ、など、記憶力や思考力、知能低下を指すものでは無い表現もあります。


人生は、『楽』が少なく『苦』ばかりです。

人生に癒しを洗える演芸という娯楽から生まれた『馬鹿』という言葉は、目の前の『苦』を少しでも『楽』に変えるためのものとも思えます。


そう考えると、いいじゃないですか。人生を歩む限り『馬鹿』になることもあります。そう、死ぬまでは。

『馬鹿は死ぬまで治らない。(治まらない)』ということです。



映画という娯楽にも、〇〇バカ日誌という名前がありました





 
 
 

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